介護離職は本当に防げるのか|「8ステップ+1」シリーズ序論として考える現実と限界

LIFE STAGE

「介護離職は防げる」

そうした言葉や考え方は、これまで多くの書籍や制度解説の中で繰り返し語られてきました。
実際、介護離職を防ぐための制度や支援策は少しずつ整備され、
それらを分かりやすく解説する専門書や実践書も数多く出版されています。

一方で、現実の介護の場面では、
「制度を知っていれば防げたはずだったのか」
「本当に“防げる問題”だったのか」
と立ち止まらざるを得ない瞬間が、何度も訪れます。

本記事は、筆者自身が経験した介護のプロセスと、
当時読んだ介護離職を扱う専門書・解説書の内容を重ね合わせながら、
介護離職という問題が抱える現実と限界を整理し、
あえて「答え」を出さずに問いとして提示することを目的としています。

ここで扱うのは、制度の是非や、
個人がどこまで努力すべきかといった結論ではありません。

介護離職という言葉が社会的に知られるようになって以降、
「介護離職は防げる」「正しい知識と準備があれば回避できる」といった言説が、
多くの解説書や情報発信の中で繰り返し語られてきました。

そこでは、介護が始まる前から制度を理解し、
相談先を把握し、仕事との両立を計画的に進めることができれば、
離職という選択を避けられる――
そんな前提が、暗黙のうちに共有されています。

しかし、この前提は本当に多くの人に当てはまるものなのでしょうか。

介護離職対策に関する書籍や解説を読むと、
そこには一貫して「個人ができること」が整理されています。

・早めに情報収集をする
・相談窓口を活用する
・介護保険制度を正しく理解する
・職場とよく話し合う

いずれも間違った内容ではありませんし、
実際に役に立つ場面も多いでしょう。

ただし、これらはすべて
「時間的・心理的な余裕があること」を前提とした対策でもあります。

介護が始まるタイミングは、多くの場合、予告なく訪れます。
家族の状態が急変し、
限られた時間の中で判断を迫られる場面が重なります。

そのような状況下で、
冷静に情報を整理し、制度を比較検討し、
職場との調整を計画的に進めることが、
本当に誰にでも可能なのか――
この点は、あまり深く問い直されていません。

「介護離職は防げる」という言葉は、
一見すると希望や安心を与える表現です。

しかし同時に、
それが無意識のうちに別の意味を帯びることがあります。

「防げたはずだったのではないか」
「準備が足りなかったのではないか」
「努力が足りなかったのではないか」

こうした問いが、
結果として介護に直面している本人や家族に向けられるとき、
その言葉は支援ではなく、静かな圧力へと変わります。

善意から発せられたはずの言葉が、
選択肢の少ない状況にある人を、
さらに追い詰めてしまう――
その構造は、決して特殊なものではありません。

「防げる」という表現が前提にしているもの、
そしてその前提からこぼれ落ちてしまう現実があることを、
ここで一度立ち止まって考える必要があります。

介護離職対策が「個人の工夫」とされる傾向に対し、
企業離職を防ぐための対策が「企業の責務」というロジックが、現実に強く傾斜を強めてきました。

本稿のテーマとした「介護離職論」の参考図書は、
当時(2016〜2017年頃)、介護離職問題の議論を代表する形で注目された、以下の2冊です。
和氣美枝氏著『介護離職しない、させない』(毎日新聞出版・2016年5月刊)
・樋口恵子氏著『その介護離職、おまちなさい』(潮出版・2017年10月刊)
この両書でも、企業側の対応の必要性や変化の必要性を強調して、介護離職論を展開しています。

介護離職を防ぐべき働く人がいる。
その人が働く職場・企業・事業所がある。
働く人と働く場所との関係性は、言うのは簡単ですが、その背景となる現実は、
すべて事情・状況が異なっている。

その視点が欠落したまま、
介護離職論が一般論として語られ続けてきた――
その現実こそが、次章で整理するテーマです。

介護離職を「防ぐべき問題」として捉えるとき、
そこには暗黙の前提があります。

それは、
介護が始まってから離職に至るまでの過程を、
段階的にコントロールできる
という想定です。

しかし現実の介護の場面では、
そのような整理されたプロセスが用意されていることは、ほとんどありません。

介護に関する制度や支援策は、
確かに数多く存在します。

介護保険制度、相談窓口、
職場で利用できる休業や配慮の仕組み――
情報として知ろうと思えば、後からいくらでも調べることができます。

しかし問題は、
それらを「調べ、理解し、選び、使う」ための時間と余裕が、
常に確保されているわけではない
という点です。

介護は、計画的に始まるものではありません。
家族の体調の急変や、生活状況の変化によって、
短い期間のうちに複数の判断を迫られる場面が連続します。

そのとき求められるのは、
「正解を選ぶこと」ではなく、
「いま決めなければならない」という現実への対応です。

制度があることと、
それを落ち着いて使えることの間には、
想像以上に大きな隔たりがあります。

介護離職対策を扱う議論では、
しばしば「選択肢がある」ことが強調されます。

在宅か施設か、
仕事を続けるか調整するか、
家族で分担するか外部に任せるか――
理論上は、いくつもの選択肢が並びます。

しかし実際には、
それらの選択肢は同時に存在しているわけではありません

仕事の状況、家族関係、経済的条件、
介護を受ける本人の状態や意思。
これらが重なり合うことで、
「選べるようで選べない」局面が生まれます。

その結果、
あとから振り返れば別の道があったように見えても、
当時の状況では、
それ以外の選択が現実的でなかったというケースは少なくありません。

「防ぐ」という言葉が前提にしている
合理的な選択の余地は、
現場では想像以上に狭いのです。

加えて、「多様な選択肢」と言いますが、
現実に選択可能な選択肢は、決して多様には存在しないのです。
切羽詰まっての介護と介護離職の検討時、切迫時には、
せめて、AかB、どちらを選ぶか、くらいのもの。
そう考えるのが必然と言えると思います。

より厳しい状況の場合には、選択肢などない。
仕事を辞めるしかない。

正規社員・職員ではなく、非正規雇用者。
親の介護ができる家族は自分だけ、他に誰も頼れない。
介護離職防止に会社全体が組織ぐるみで、あるいは経営政策として取り組む。
一方、中小零細企業では、法律そのものを現実の制度に組み入れることは、当然ムリ。

こうした事情は、個々人の事情と職場・企業の事情の組み合わせ数とパターン数。
すべて異なり、一般論で解決できるものではありません。


介護離職を防ぐための議論や対策論は、
多くの場合、一定の「前提条件」を共有しています。

それらは明示されていないことも多く、
読み進めるうちに自然なものとして受け入れてしまいがちです。
しかし、その前提条件を一つずつ見ていくと、
現実との間に小さくないズレがあることに気づかされます。

介護離職対策を扱う書籍や解説では、
次のような状況が暗黙の前提として置かれていることが少なくありません。

・介護が始まる前、あるいは初期段階である
・情報収集や相談に充てる時間が確保できる
・家族や職場に相談できる余地がある
・経済的・心理的な余力が一定程度ある

これらが揃っていれば、
制度の活用や働き方の調整によって、
離職という選択を避けられる可能性は確かに高まります。

しかし、実際の介護の現場では、
これらの条件が同時に満たされるとは限りません

むしろ、
時間がないからこそ判断を急ぎ、
余力がないからこそ一人で抱え込み、
支援につながる前に選択を迫られる――
そうした状況の方が、現実には多く見られます。

介護離職論が想定する前提条件が崩れる理由は、
個人の努力不足ではありません。

介護は、
仕事や家庭生活と切り離された出来事ではなく、
それらと同時進行で進んでいく出来事だからです。

仕事の責任が重なる時期、
家庭内で別の課題を抱えている時期、
あるいは自身の体調や年齢の問題――
そうした要素が重なった状態で、
介護への対応が求められることも珍しくありません。

このとき、
「正しい対策を取る余地があるかどうか」以前に、
判断そのものを引き受ける余力が奪われている場合があります。

介護離職論や対策論が示す内容は、
理論としては整っていても、
その理論を実行できる状態にあるかどうかという点で、
現実との距離が生じやすいのです。

この距離を埋めないまま、
「防げるはずだった」という言葉だけが残るとき、
問題は制度や情報ではなく、
語り方そのものに移っていきます。

本稿のタイトルに組み入れた「体験」とは、
当サイトで、先に投稿した以下の3つの体験記を基にしての考察を含むことを意味しています。
・体験記①:93歳義母「サ高住」介護体験記|2015年の記録と気づき
・体験記②:98歳義母「特養」介護体験記|コロナ禍における施設介護生活の記録
・体験記③:100歳義母 看取りと見送りの記録|終活を実践した家族の体験(2022年7月〜10月)

それらの体験は、筆者が初期は自営、ここ数年はリタイア状態。
そのために、比較的自由に、介護に関する時間を使うことができ、
選択肢の抽出も、選択も、即決的に行うことができる状況・環境にあったのです。

また、体験記①では、
義母のリハビリ入院期間が限定され、退院後の受け入れ施設探しがひっ迫していたこと。
体験記②では、
要介護1から要介護4に認定変更と重篤化に伴い、サ高住から特養への転所が必然だったこと。
とういうように、いろいろ迷ったり、選択したりしている余裕がなかった。
そんな現実の結果でもあったのです。
その中で、ベターの選択を判断できる、恵まれた状況だったわけで、
ある意味特殊・特別な、稀な例と言えると考えています。

介護離職をめぐる制度や支援策は、
この十数年の間に、確実に変化してきました。

介護休業制度の整備、
短時間勤務や柔軟な働き方への配慮、
相談窓口や情報提供の充実――
少なくとも制度上は、
「介護と仕事の両立」を支える枠組みは拡張されてきたと言えます。

こうした変化を踏まえれば、
介護離職は「以前よりも防ぎやすくなった」と評価することも、
決して間違いではありません。

ただし、その評価がそのまま
現実・現場の実感と重なるかどうかは、別の問題です。

まず確認しておきたいのは、
制度や支援策の整備が進んできたこと自体は、
否定されるべきものではないという点です。

制度がなければ、
そもそも選択肢すら存在しません。
多くの人にとって、
介護休業や勤務調整の仕組みが整えられてきたことは、
確実に前進と言えるでしょう。

また、
「介護離職を減らす」という社会的な問題意識が共有され、
議論の俎上に載るようになったこと自体も、
重要な変化の一つです。

問題は、
制度が整ったことと、
それが現実に機能することの間にある距離
です。

制度がどれほど整備されても、
介護の現場で、現実に介護が必要になったときに繰り返し現れるのは、
「いま決めなければならない」という局面です。

・仕事をどうするか
・誰が、どこまで関わるのか、関われるのか
・どの支援を、いつ使うのか、今できるのは何か

こうした判断は、
制度の有無とは無関係に、
限られた時間の中で迫られます。

しかもその多くは、
「後から考え直せる選択」ではありません。

このとき求められるのは、
制度を正確に理解する力よりも、
不完全な情報の中で決断を引き受ける力です。
ベストは簡単に見いだせるものではなく、
ベター、その時点で望ましい方法、情報を見出し、判断できるかです。

「防げる/防げない」という二分法は、
こうした判断の連続性や不可逆性を、
うまく言い表してはいません。

制度は確かに変わってきました。
しかし、
介護に直面した人が
決断を一人で引き受けざるを得ない構造そのものは、
大きくは変わっていないのです。

確かに、介護支援制度が少しずつ整備・拡充されてきてはいます。
しかし、その割には、「介護離職者」数は劇的に減少しているわけではありません。
むしろ、「ビジネスケアラー」や「ヤングケアラー」という用語をマスコミで見る機会は、
増えてきているように感じられます。

その背景には、先述したように、
だれもがその制度を利用できる状況・環境・条件にあるわけではない、
ということがあります。

そして、少子化・超高齢化と単身世帯化の急速な進展に伴う、
介護を担う家族資源の希薄化も、制度とは無縁のものとして、社会的な、
かつ、極めて個人的な問題として、拡大していく状況にあることも確認しておく必要があります。

ここまで見てきたように、
介護離職をめぐる議論には、
「防げるか、防げないか」という二分法では捉えきれない側面が数多く存在します。

制度は整備され、
情報も以前より手に入りやすくなりました。
それでもなお、
介護に直面した人が短い時間の中で判断を迫られ、
結果として仕事の継続が難しくなる場面は、現在も後を絶ちません。

この現実を前にして、
「介護離職は防げる問題だ」と言い切ってしまうことは、
本当に適切なのでしょうか。

「防げる」という言葉は、
希望や目標として語られるときには意味を持ちます。

しかしそれが、
個人の努力や判断の結果として評価される瞬間、
その言葉は別の重さを帯び始めます。

防げなかったと感じた人にとって、
その言葉は
「十分に準備できなかったのではないか」
「選択を誤ったのではないか」
という自己責任の問いへと変わりかねません。

介護離職をめぐる問題を、
「防ぐべきかどうか」という枠組みだけで考えることには、
限界がある――
本記事が提示したいのは、その一点です。

ここまで、
「介護離職は「防げる問題」なのか」という主テーマについて、
「体験と介護離職論から見えた現実と限界」というサブテーマを付けて、
まさに、介護離職に取り組む上での「現実と限界」を俯瞰してきました。

相当の記事数・文字数を費やしても、
当時のベストセラー書をもってしても、
今なお、介護離職は減ることなく、マスコミでも問題は、投げかけられ続けています。
経済界や行政の問題意識は、高まり続けてはいても、です。

介護保険制度や、介護保険料問題も介護離職問題とは無関係のような感があります。
また、喫緊の課題と、「喫緊」が常用語のようにされる「介護職員の人材不足問題」。
これらも実は、介護離職を余儀なくさせる要因・遠因の一つとなっていることは、
意外に認識されていません。

本記事では、
介護離職に対する明確な答えや解決策を示していません。

それは、
介護離職という問題が、
単一の正解で整理できるものではないからです。

ただし、
「防げるかどうか」という問いをいったん脇に置いたうえで、
それでもなお
仕事と介護をどう両立していくか
どの段階で何を考えておくべきか
といった実践的な整理は、必要不可欠です。

また、その備えとして必要とされる介護保険制度や介護保険料、介護に必要な費用などの
諸問題についても、知っておくべき知識・情報ではあります。

この問いと問題提起を受けて、
今後展開予定の
「介護離職しないための8ステップ+1と実践法」シリーズでは、
個人に過度な責任を押し付けない視点を保ちながら、
必要な情報や知識の提供も加え、
現実に即した考え方や判断の整理を行っていく予定です。

介護離職は、
「防げるか、防げないか」ではなく、
どう向き合い、どう支え合うかという問題として、
改めて考え直される必要がある――
その問いを残して、本記事を締めくくります。

本記事では、
介護離職を「防げる/防げない」という二分法で結論づけるのではなく、
体験と介護離職論を重ね合わせながら、
その前提や限界を構造的に整理することを目的としてきました。

一方で、
介護離職という問題が社会的に強く注目され始めた当時、
より直接的に「介護離職はどう捉えられていたのか」を知るための資料も存在します。

以下の2本は、
本記事で触れた介護離職論を、
当時の文脈の中で整理・考察した補論的な記事です。

※本記事の理解に必須ではありませんが、
当時の問題意識や語られ方を確認したい方の参考として掲載します。
介護離職しない、させないから学ぶ介護離職論
⇒ 『介護離職しない、させない』から学ぶ!介護離職対策のヒントと心構え – 介護終活.com
その介護離職、おまちなさいから考える介護離職の現実
⇒ 『その介護離職、おまちなさい』から学ぶ!「ながら介護」「トモニ介護」で乗り越える介護の課題 – 介護終活.com

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